青い三角定規「太陽がくれた季節」のまわりで


昭和の一発屋様をリスペクトするシリーズ。今回は青い三角定規「太陽がくれた季節」をご紹介します。

青春を文学する歌詞の世界

【楽曲data】
タイトル:太陽がくれた季節
アーティスト:青い三角定規
作詞:山川啓介
作曲:いずみたく
発売:1972年(昭和47年)2月

青い三角定規の楽曲「太陽がくれた季節」は1972年(昭和47年)発売。ドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌としてドラマの人気とともに爆発的にヒットしました。

主演は村野武範。サッカー部の指導をすることになった熱血先生と劣等生たちとの青春の日々という王道のストーリーでしたね。ほかにも先生役の酒井和歌子、生徒役に石橋正次剛たつひと保積ペペ頭師佳孝などが好演していました。

♪君は何を今 見つめているの
若い悲しみに 濡れた眸で
逃げて行く白い鳩 それとも愛♪

♪青春は太陽がくれた季節♪

こう始まる山川啓介の歌詞は文学的で、「青春」の”熱”のようなものがストレートに表現されています。それもそのはず、山川啓介は早稲田大学文学部卒なのですね。彼の代表作と言えるものはそれはもうたくさんあるのですが、矢沢永吉の「時間よ止まれ」もそうなんです。

♪夏の日の恋なんて 幻と笑いながら
 この女(ひと)に賭ける♪

やっぱりこの人の詩は文学してますねえ。噛めば噛むほど…そんな味わい深い歌詞です。

さて話は戻り…。

当時はいわゆる青春ドラマ流行りで、”The 青春”的な熱い感じのノリをわたし達も当たり前に受け止めていました。それが普通でしょ、だって青春なんだし、なんて。まあその揺り戻しもあってか、その後は世間に”シラケ”ムードが蔓延してしまうわけなのですが…。

♪燃やそうよ 二度とない日々を♪

華々しいアレンジはあの大御所が担当していた!

「太陽がくれた季節」の編曲者は誰かご存知でしょうか。昭和の9月の歌でもちらりとご紹介しましたが、なんとあのラテンの大御所・松岡直也です。言われてみるとイントロの印象的なホーンややや凝ったコード進行など、松岡節がそこここに表れているように感じられませんか。当時、松岡直也はいずみたく率いる「オールスタッフ」に所属していた関係で、こういうコラボが生まれたんですね。

考えてみれば青春ドラマの主題歌とラテンの雰囲気って、「熱い」という点においてしっかり合致しています。フォーク的世界観を持ちながらも、華やかでインパクトのある「太陽がくれた季節」はこうして作詞、作曲、編曲の三位一体で生まれたものだったんですね。

そもそも青い三角定規ってどういう人たち?

青春ドラマの主題歌を歌う、カジュアルな雰囲気の3人組男女。当時、世間の人は青い三角定規をずっと活動を続けていたフォーク・グループだと思っていたかもしれません。しかし、西口久美子岩久茂高田真理の3人のメンバーは、元からひとつのグループだったわけではありませんでした。

西口久美子公式サイトによると、彼女のデビューは

高校在学中に竹部薫舞踊団のダンシングチーム「ティーンズ」のメンバーの一員として

とあります。公式サイトには当時の写真も掲載されています。元々はダンスをやっていた方だったんですね。歌も美貌もそしてダンスまで!才能豊かな方です。

でも西口久美子は「歌」が歌いたかった。それでレコード会社からいずみたくを紹介され、男性2人組(岩久と高田)に加わり男女混声コーラスグループとなったようです。このあたりの経緯について共同通信社の運営サイトOVO「昭和の名ディレクターに聞く歌謡ポップス裏話 中村雅俊「ふれあい」誕生秘話」の中で、当時、コロンビアレコードのディレクター/プロデューサーだった渥美章がこう証言しています。

バレエ団にいた女の子で、「どうしても歌手デビューしたい」と言って、ズックと洗いざらしのジーンズ姿で毎日会社に遊びに来ていた子がいました。

ある日、いずみさんの事務所に行った際にたまたま「2人組の男の子がいるのだけど、色合いが足りない。ユニットとして女の子が欲しい」という相談を受けたのです。そこで3人を会わせてみたら、なんだかしっくりきた。それが西口久美子、岩久茂、高田真理による青い三角定規の結成ですね。

緻密な戦略の元に売り出された青い三角定規

青い三角定規のデビュー曲は1971年(昭和46年)の「翼を忘れた天使たち」。この曲は残念ながらヒットとはなりませんでした。人気ドラマ主題歌の「太陽がくれた季節」と比べるのは酷な話かもしれませんが、楽曲同士を比較してみてもやはり「翼を忘れた天使たち」の方は華がないと言いますか、やや地味な印象です。

この曲も「太陽がくれた季節」同様、山川・いずみコンビの作品です。編曲は渋谷毅。渋谷毅も昭和を代表する偉大な作・編曲家のひとりですね。編曲者としては坂本九の「見上げてごらん夜の星を」が特に有名でしょうか(作詞は永六輔、作曲はいずみたく!)。「翼を忘れた天使たち」はアコースティックギターのアルペジオで静かに始まり、サビに向けて盛り上がる仕掛けになっていますが、全体的には抑え気味に仕上がっています。そういう狙いだったのでしょう。

作曲だけでなくプロデューサーでもあったいずみたくは「太陽がくれた季節」にはもう少し派手さや当時のイマドキ感を追求したのかもしれません。楽曲以外の制作陣にも力が入りました。レコードジャケット撮影にあたり、衣装は世界進出が始まったばかりの三宅一生、カメラマンは篠山紀信の元から独立したての十文字美信と、当時の若手一流アーティストが起用されています。レコードジャケットの左下にふたりの名前がしっかり出ていますね。

その後のちょっと悲しいお話

青い三角定規の活動期間は短く1973年(昭和48年)には解散してしまいます。その後、西口久美子はソロで歌手、女優として活動。現在は「同窓会コンサート」のメンバーでもありコンサート活動も活発です。

岩久茂は作曲家として、また「くもと空」というグループでも一時活動していました。プライベートでは女優の秋吉久美子と結婚・離婚しています。

高田真理は松野浩三(現・サンシャイン松野)と「まざぁ・こんぷれっくす」というフォークデュオを結成しましたが長くは続かず、その後は音楽から離れ居酒屋経営などをしていたようです。

そして長い長い年月を経た2008年(平成20年)、青い三角定規は再結成しました。ただし、高田真理抜きで。再結成の話が具体的になったのは2006年(平成18年)頃でしたがその話の最中に高田真理は飲酒運転で人身事故を起こしてしまいます。世間からの大バッシングを浴び、再結成の話は立ち消えに。それを苦にしたであろう高田真理は事故から2週間後に転落死。自殺だろうと言われています。

「一発屋」様リスペクト!といってもやはり人ひとりの人生はとても長い。その人生を横からなぞってみると今まで見えなかったものが見えてくることも多々あるように思います。「太陽がくれた季節」にまつわる長いお話。最後まで読んでいただいてありがとうございました。そういえば、「新・青い三角定規」というグループもありましたね。こちらの当時女子高生だったボーカルの方は今は人材サービス会社の社長さんだそうです!


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