アリスの「今はもうだれも」を、佐竹俊郎で聴く


「今はもうだれも」は1975年(昭和50年)に発売されたフォークグループ、アリスのヒット曲です。

「今はもうだれも」はアリスの初ヒット曲

【楽曲data】
タイトル:今はもうだれも
アーティスト:アリス(谷村新司、堀内孝雄、矢沢透)
作詞:佐竹俊郎
作曲:佐竹俊郎
発売:1975年(昭和50年)9月

今はもうだれも」はアリスの初ヒット曲です。アリスは1972年(昭和47年)に「走っておいで恋人よ」という曲でデビューしたのですが、しばらくはヒットに恵まれませんでした。最初の頃はメンバーの谷村新司が作詞作曲をしていましたが、レコード会社の方針などもあったのでしょう。その後、外部の人が作った曲も採用するようになっていきます。

「今はもうだれも」もそんな外部の人による曲のひとつで、作詞作曲は佐竹俊郎。1969年に作られた曲でした。

関西フォークの有名人だった佐竹俊郎

実はこの佐竹俊郎という人物。立命館高校から立命館大学を経て、後に実業家となる人なのですが、学生時代は関西フォーク界ではリーダー的存在だったようです。

1969年(昭和44年)にウッディー・ウーというグループでこの「今はもうだれも」をリリースしています。

ウッディー・ウーのメンバーは3人。リーダーの佐竹俊郎と、同志社大学の星野彬岡山勇吉です。京都の大学生だったんですね。

バンド名の由来はWikipedia(2014年6月10日 (火) 21:52版)によれば、

1930年代に活躍したフォーク・シンガーのウッディ・ガスリーと、若者の叫び声を表す「ウー」を組み合わせたもの。

ウッディ・ガスリーとは、Woody Guthrie。This land is your landという曲で有名なアメリカのフォーク歌手です。

ウッディー・ウー「今はもうだれも」の魅力について考えてみる

アリス版の「今はもうだれも」ほどではありませんでしたが、元祖ウッディー・ウーの「今はもうだれも」も、関西圏では話題になっていたようです。

両方を聴き比べてみると、面白いことが分かります。

とても共通している部分と、かなり異なる部分があるんです。(←こう書いてしまうと、何か間の抜けた感じですが、本当にそうですし、そこが面白いと思いました)

アリス版は佐竹俊郎の曲想については最大限活かしながら、ドラミングやエレキギターのフレーズなどを全体に散りばめることで、リズム感を強め、ほんのりとロック色を感じさせるような、華やかな雰囲気に仕上げています。さすがは矢沢透アレンジです。

それに比べると、ウッディー・ウー版は究極のシンプルといったところ。

谷村新司は♪今はもうだれも~♪の「も~」のところで音を下にぐぃーんとすべらせて歌っていますが、佐竹俊郎は「もーーーーー」の歌い方はまっすぐ、どストレートです。

谷村新司という人はとても歌が上手いので、いわゆる細かい技巧を使って、カッコよく歌い上げています。そこにみんなしびれたというか、「うわー、この曲、イイ!」と感じさせてそれでヒットしたんだと思います。

でもあらためてウッディ・ウーと聴き比べると、アリス版はそのアレンジや歌の上手さが先行しているようにも思えてきて、逆にウッデイ・ウーのほうが、ベタな言い方ですが、”心に沁みる”ような印象を受けます。

これ、結局は失恋の歌ですから。ウッディ・ウー版のほうが

あー、本当に♪今はもうだれも 愛したくないの♪という心境なんだな、

と納得・共感できる感じなんですよね。

ウッディ・ウーの「今はもうだれも」、Amazonで最初の45秒間だけ試聴できます。
フォーク歌年鑑 1969 Vol.2 フォーク&ニューミュージック大全集 5

「今はもうだれも」歌詞の秘密

秘密、というほどでもないですが、2つ面白いことを発見しました。

ひとつは♪愛したくないの♪の最後の「~ないの」という表現
女性言葉ですよね、これ。こういう言い回しにすることで、この失恋男性の”心の声”というか”内なる声”が表現されているんじゃないかと。

誰かに、「もうしばらくは恋とかそういうのはいいや」って言うんじゃなく、

「今はもうだれも 愛したくないの」と言う。自分に言っているんですね。もしくは「君」に心で語りかけている。そんなふうに感じます。

この言い回しは他にも出てきます。

♪愛されたくて みんな君に 僕の中に 悲しみだけが たったひとつの残りものなの♪

いやあ、これ、男の人が誰かに言うセリフじゃないですものね。

本当に心のうちが吐露されているからこそのこの言い回しだし、だからこそ曲調やアレンジとのギャップもあって聴く人の心に刺さるのではないかと思います。

「とめど流るる」問題について

もうひとつ、「今はもう誰も」を語る上で外せないのは

♪とめど流るる涙に♪

という部分の歌詞です。

”とめど流るる”

何だかとっても文語的と言いますか詩的と言いますか、こんな歌詞が突然出てくることで格調高く思えたりしませんか?

ところがこれ、文法的にはよろしくないようで。。。

本来は”とめどなく流れる涙”でないといけないんですね。

”とめど”とは「止め処」。止め処がなく、あるいはとめどなく、という使い方が一般的で

とめど流るるは、ちょっと独特な使いまわし(というか間違い?)になってしまうようです。

まあ、でもいいじゃないですか。そういう細かいことは。ここのメロディにきれいにのせるためには、やっぱり「止め処なく」ではダメで、「とめど」である必要があったんです。きっと!

残念ながら佐竹俊郎は2003年(平成15年)に、56才という若さで亡くなっています。歯科材料の会社の経営者としても功績があり、歯科材料をネイル分野に活かす先鞭をつけた人でもあるのだそうです。

当時の彼の音源、もっとたくさん聴いてみたいけれど、あまり出回っていないようですね。

「今はもうだれも」という、これだけの名曲を作った人なのですから、もっともっとリスペクトされて、もっと広まっていってもよいのにな、と個人的に思ってしまいまして、今回は佐竹俊郎を取り上げてみました。


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