昭和は「嫁ぐ」に萌えていた


昭和歌謡には「嫁ぐ」という歌詞がとてもよく出てきます。しかもそれが老若男女に愛されたヒット曲の中にある。ということは昭和の人たちはそれだけ「嫁ぐ」に、何かしらの想いを抱いていたということになりますね。

そもそも「嫁ぐ」とは何か

三省堂 大辞林によると「嫁ぐ」とは以下の意味となります。

①結婚して夫の家族の一員となる。縁づく。
②男女が交わる。交合する。

昭和歌謡の歌詞に出てくるのはほぼ①のほうの意味ですよね。そして、この①の文にある「結婚」についても調べてみると

男女が夫婦となること。

と出てきます。

「嫁ぐ」には結婚することに加えて”夫の家族の一員となる”という意味合いが含まれているわけですね。でもその言葉になぜ昭和は”萌え”たのでしょうか。

「花嫁」はしだのりひことクライマックス

♪花嫁は夜汽車にのって とついでゆくの
あの人の写真を胸に 海辺の街へ♪

「花嫁」は1971年(昭和46年)発売の、はしだのりひことクライマックスのデビュー曲。作詞は北山修、作曲は端田宣彦、坂庭省悟です。ちなみに女声ボーカルは藤沢ミエ。

2人の仲を周囲に反対されたであろう女性が、「夜汽車に乗って」彼の元へ向かう様子が前向きに描かれています。

♪命かけて燃えた 恋が結ばれる♪
♪帰れない 何があっても 心に誓うの♪

この歌の「嫁ぐ」には何があっても帰れないという必死の決意が歌われていて、そこに憧れにも似た”萌え”要素があったのでしょうか。
(ちなみに北山修は、後にはしだのりひこと結婚した女性を応援する気持ちでこの歌詞を書いたそうですよ「スポニチアネックス」より)

「22才の別れ」風

♪今はただ 5年の月日が 永すぎた春といえるだけです♪
♪あなたの知らないところへ 嫁いで行くわたしにとって♪

風のデビュー曲「22才の別れ」は伊勢正三作詞作曲。1975年(昭和50年)発売。

17才から5年間付き合った人と別れ、他の人のもとへ「嫁ぐ」女性の気持ちが歌われています。他の男性と一緒になるというだけでなく、その人の家に入るというニュアンスの「嫁ぐ」という言葉を使うことで、家と家との結婚、もう引き返せないというきっぱりとした別れの意味を含ませたのでしょう。

「秋桜」山口百恵

山口百恵の「秋桜」は1977年(昭和52年)発売。作詞作曲はさだまさし。

♪明日嫁ぐわたしに 苦労はしても笑い話に時が変えるよ 心配いらないと笑った♪

「嫁ぐ」前日の娘と母が描かれています。「嫁ぐ」のその先に「苦労」という言葉が続きます。苦労が前提となっての「嫁ぐ」と言わんばかりのさだまさしの詩が重いですねえ。

「娘が嫁ぐ朝」Tulip

「娘が嫁ぐ朝」は1976年(昭和51年)発売のTulipの歌。作詞作曲は財津和夫。
♪車で娘と二人 お前にあいにきたよ 野の花咲いたしずかな丘に 眠るお前は倖せ者さ♪
♪あいつが嫁いで行けば 私は一人家の中♪

この曲は前の3曲とは異なり、娘が「嫁ぐ」朝に、亡くなった妻との想い出が歌われています。
妻が亡くなり娘と二人だけだった生活も、これから娘が「嫁い」でゆけばもう終わってしまう。でもその娘の結婚がまた、自分と妻との教会での結婚式を思い起こさせ、そこから綿々と続いた結婚生活が懐かしく思いだされる…。
♪何日も口をきかず 別れて暮らしてみたね♪
そういう気まずい日々もあったけれど
♪も一度だけお前と 腕組み歩きたい 時計台に続く レンガのあの道♪

以前「笑っていいとも」の中でタモリが結婚について、「愛で始まり、やがて憎悪に変わり、感謝で終わるもの」というようなことを語ったそうですが、言い得て妙、さすがタモリという感じですね。

やっぱり昭和は「嫁ぐ」に”萌え”た

今回ご紹介した曲はすべて男性が作詞していることがとても興味深いです。「嫁ぐ」ことの重大さや不安、決意のようなものを当時の女性は抱えていたと思いますが、それをそばで見ていた男性もまた、女性同様に「嫁ぐ」を重く受け止めていたのかもしれませんね。そんな昭和40-50年代でした。
「嫁ぐ」や「嫁にいく」といった歌詞は昭和歌謡にまだまだ出てきますよ。ぜひ探してみてくださいね。

もっと以前の昭和や平成になってからは「嫁ぐ」系の歌詞はどうだったのか、またの機会に振り返ってみたいと思います。


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