「涙の太陽」の作詞者、R.H.Riversって誰?


昔からいろんな人にカバーされてきた歌謡曲「涙の太陽」。

♪ギーラギーラ、太陽が♪の歌詞の記憶が鮮烈な安西マリアの「涙の太陽」は1973年(昭和48年)発売。でも実はこれ、カバー曲だったんですね。元の歌詞は英語。そしてその作詞者R.H.Riversってご存知でしたか。

元歌はエミー・ジャクソンだった!!

最初の「涙の太陽」は、1965年(昭和40年)に発売されました。英語のタイトルは「Crying in a Storm」です。

♪ギーラギーラ、太陽が♪の部分は元の歌詞では

♪Take me, take me. take my heart and all♪となっています。

歌はエミー・ジャクソンと聞いて「元は洋楽か」と思う方もいるかもしれませんね。でも当時のレコードジャケットを見てまたびっくり。「ん?外見は日本人っぽい?」。そう。実はこれ日本で生まれた歌だったんです。

エミー・ジャクソンは祖父がイギリス人。エミー・ジャクソン・オフィシャル・ホームページによると

ラジオ関東のDJ番組のアシスタントをつとめていた頃、洋楽レーベルのCBSコロンビアから「涙の太陽」をリリース。同年の夏を飾る大ヒットとなり”和製ポップス 第一号”と呼ばれた。

のだそうです。

作詞者はR.H.Rivers。

エミー・ジャクソンを見出したのは音楽評論家の湯川れい子だと言われています。そういえば1973年(昭和48年)の安西マリアの「涙の太陽」作詞者も湯川れい子です。でも最初の英語詩はR.H.Rivers。この人はどういう人なんだろう?

R.H.Rivers

ん?Riversって川?

あれ?湯川さんも苗字に川?

Hot Riversってもしかして湯川ということ?

そう。このR.H.Riversとは、れい子のRと湯川の英語(Hot Rivers)ということで湯川れい子のペンネームだったんですね。だから、安西マリアの作詞は自分で書いた英語の歌詞を自分で訳したというわけか。ややこしいですね・・・。


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