昭和歌謡の中でも、器用に日本語で歌ってヒットを飛ばした海外アーティストたちがいましたね。その中から今回はスリー・ディグリーズの「にがい涙」をご紹介します。
The Three Degrees ‘Nigai Namida’
Contents
企画の背景が面白い
【楽曲data】
アーティスト名:スリー・ディグリーズ
タイトル:にがい涙
作詞:安井かずみ
作曲:筒美京平
発売:1975年(昭和50年)
スリー・ディグリーズの「にがい涙」は1975年(昭和50年)に発売されました。当時は「へえ!スリーディグリーズが日本語で歌、出したんだ」と驚いたくらいで、”なぜ”そういう企画が持ち上がったのかなんて全く考えていませんでした。
この曲の発売には実はこういう経緯があったと、Wikipedia(2016年6月16日 (木) 03:17版)には書かれています。
1974年、「ソウル・トレインのテーマ」で全米(ビルボード)1位を獲得したスリー・ディグリーズだったが、同年に「天使のささやき」が全米2位のヒットとなったものの、本国では暫く新曲がリリースされなかった[1]。これに業を煮やしたCBS・ソニーの洋楽ディレクターの高橋裕二は、日本独自のシングルを制作するという企画を立てる。企画の主旨から、制作は邦楽ディレクターである白川隆三に委ねられることになり、白川は安井かずみと筒美京平に、日本語で歌うポップスを作るよう依頼する
当時は今とは違い、こぞってレコードを買う時代。洋楽の人気も大変なものでした。新曲を出せば相当の売り上げを見込めるはずなのに、アメリカで新曲が出ない?えーい、じゃあもう日本で新曲を作ってしまえ!!そういう発想だったようです。
結局この目論見は大当たりだったのですからさすがです。日本限定発売のこの曲は、オリコンで最高15位までいったそうですよ。
この高橋裕二という方は業界では超有名だそうで、今でも洋楽天国というブログで洋楽情報を発信しています。
Musicman-Netの高橋裕二インタビュー記事には、彼が実はスリー・ディグリーズの「When I Will See You Again」に「天使のささやき」という邦題をつけたその人であることも語られています。日本の洋楽を、まさに創り上げた人です。
そして白川隆三。彼は太田裕美の担当ディレクターとして「木綿のハンカチーフ」を大成功させています。いやはや、「にがい涙」誕生の裏には、日本音楽界を引っ張ってきた人たちの類い稀なセンスが集まってできあがった曲なんですね。
やっぱりさすがの歌唱力なのです
スリー・ディグリーズと言えば「天使のささやき」のしっとりとした歌声が有名ですが、「にがい涙」は「Dirty Ol’ Man」にも近いエネルギッシュな曲で、一貫して強い発声で歌われています。
♪見てたはずよ あたしの気持ちが
少しずつ あなたの方へ 傾いていくのを 見てたはずよ♪
出だしからスタッカート気味にでもビートを効かせてガンガン迫ってくる感じがカッコよく(余談ですが、この曲をカラオケで歌うと、「あー、歌ったー、声出したー!」と満足感が味わえます)、スリー・ディグリーズの歌の上手さや表現力にあらためて脱帽です。日本語の発音は文句のつけようがないほど素晴らしく、勘の良さ、耳の良さもうかがえます。
曲は思わずリズムをとり身体が動いてしまうダンサブル&パワフルさがあり、海外アーティストの曲としてだけじゃなく、日本人が好む昭和歌謡曲として聴いてみても非常に高い完成度になっています。この曲を聴いたことがない方は、ぜひ一度聴いてみていただきたいです。
というわけで、多くのアーティストがカバーする「にがい涙」。
カバー曲でのわたしのおすすめは東京スカパラダイスオーケストラです。エキセントリックなボーカルと強烈なスカのリズムで、スリー・ディグリーズのそれとは違い、斬新さが際立っています。